帝国の兄弟 第3話


「ふんふん〜ふん〜、ふ〜ん・・・」
呑気な鼻歌が狭く雑多な部屋に響く。
しかし彼の脳内を満たすのは決して鼻歌ではない。
それほど大きくない机の上一杯に広がった紙や本、そして様々なガラス器具。
棚には容器に入った液体や結晶がずらりと貼られたラベルに従って並べられている。
白衣を纏い、ガラスの実験器具を組み立ててその前で杖を振る彼は大概に大雑把で、言い方を変えれば自分の興味をある事しかやらない人間である。
そんな彼が棚の薬品の整理などするわけがない。
どちらかと言えば散らかった空間に充実性を感じる類の人間である。
本棚に並んだ貴重な書物も、身の周りの物の整理も全て彼のパートナーが行っていた。
彼が実験に夢中になれば食事に呼び、怖がって彼の部屋に入らないメイド達の代わりに彼の世話をする。
あるいは酷く高度な彼の理論展開や奇想天外な発想に追随して研究を手伝う。
変人と誉れ高い彼と付き合えるのほど人間ができ、匹敵し得る程に高度な知識を持つのはハルケギニア広しと言えど彼女一人であった。
男が上機嫌に実験を進めていると背後の戸がノックされる。
しかし男は気づく様子も無く、あるいは気付いているとしての一切の応答なしに作業に没頭していた。
戸外の人物もそれを心得たように了承も無く戸が開かれる。
彼女が部屋の中に顔をのぞかせた瞬間、室内に小さな爆発音が響き渡った。
黒い煙が立ち込め男が咳き込む。
彼女は慌てて部屋の中に入り窓を開け放していった。

「ロイドさん!またやったんですか!?」
「あは、また失敗しちゃったぁ〜」

ずれた眼鏡を元に戻し、楽しそうに笑うロイドの顔に反省の色は微塵もない。
ロイド・アスプルンド、ゲルマニアの名門貴族アスプルンド伯爵家の後取り息子でありながら科学研究に興味を示した彼は魔法学院在学中から変人として名高い男であった。
実験と称して寮の部屋を爆発させるわ、あやしげな薬を作っては後輩に飲ませて昏倒させるわ、寮の廊下に非常用の脱出シュートを作って落とし穴騒ぎを起こしたりと成績だけは良かったものの素行は問題児そのもので、教師陣は何度も退学を考えたと言う。
しかしどうにか卒業するとロイドは帝立アカデミーに推薦を受け、そこで研究を行う事になったのだが、問題はそれからであった。
かつて彼が暮らしていたブリタニア帝国のように実力があれば許される様な世界ではなかった。
ブリタニアの科学界以上に政治が必要なアカデミーの内部事情、政治に全く興味を示さず人を小馬鹿にするような言動の多いロイドは瞬く間に上司を激怒させて解雇、実家へと帰る事となった。
実家のアスプルンド家も既にロイドを跡継ぎにする事は諦めているようで伯爵も次男の教育に精を出している。
アスプルンド家にロイドの居場所はなかった。
僅かな平民の使用人を付けてもらい伯爵家が持つ別宅に籠り実験を繰り返す日々。
それは他の貴族達から見れば鄙びた老人の様な世捨て人の生活にも見えたが、ロイドにとって俗世の煩わしさを忘れて楽しみに浸る事の出来る素晴らしい日常だった。
やがて学院時代の後輩の女性がロイドの元を訪れる。
セシル・クルーミー、彼女もまた、前世の記憶とやらを持つ者であった。
お互いに適度な距離と生活のリズム、会話の流れを知っている仲だ。
共に暮らすのは苦痛ではなかった。
セシルの家は没落した貴族であった。
魔法学院も在学中に学費が払えなくなって中退、生活に困ってロイドの元に上がり込んだのである。
どこかの貴族の子息と結婚すると言う手もあった。
幸いセシルの容姿は見栄えがし、そう言う話が無かったわけではない。
だがセシルもまた捨てがたい研究の道を、好奇心を満足させる道を選んだのだ。

「全く、ちゃんと片付けて下さいよ」
「え〜、メイドさんに任せるよ。その為の人達でしょ」
「そのメイドの人達もこの部屋を怖がって入って来ないんですッ!」

杖を振って床に落ちたガラス器具を錬金し直す。
水のラインであるセシルよりも土もスクウェアメイジであるロイドが錬金する方が完成度も高いのだが、彼の精神力の全ては実験に用いられる為些細な雑事では魔法を使おうとはしない。
ふうとセシルはため息をついた。
魔法、これまで何度も用いてきたのに未だ魔法に慣れない節があった。
科学とはまず現象ありき、不思議に見える現象を理論的に説明する為に生れたものである。
故にこのハルケギニアの科学が魔法を説明する為に発達するべきであり、そうした方向性を持って研究している者が多い。
ロイドもセシルも最初は魔法に興味を覚えてその体系を学んだ。
だがやがて二人は大きな壁にぶつかってしまう。
系統魔法はブリミルの時代からほとんど変化していないのである。
そしてそもそも魔法の研究とはルーンの役割や影響を調べるぐらいのもので、魔力と言う定量化できないエネルギーによって引き起こされる現象を数式に表わし理論的に説明する事は難しいと二人は気付かされた。
無論それに挑戦するのも道である。
魔法研究の王道はまさにそれであり新しい魔法を生み出そうとする道だ。
だが二人は方針を変えた。
魔法を道具と考え、自分達の知る別の科学の面から新しい技術を生み出そうと言う試みへと移っていったのである。
当然魔法を神聖な貴族の象徴として考える貴族達には理解されるわけがなく、資金を提供してくれるような奇特な貴族は存在しない。
研究費用は全てロイドの私費である。
ロイドが金を錬金出来るスクウェアクラスのメイジでなければ今頃二人は路頭を迷っていたかもしれない。

「それで、何か僕に用があったんじゃないの?」
「あ、そうなんです。ジェレミア卿が来てますよ」
「へぇ〜、あのジェレミア君が」

セシルの後ろから壁を軽く叩く音が聞こえる。
入口にもたれかかる様にジェレミアが立っていた。
部屋の内部の荒れた状況を見渡して、はぁとため息をついた。

「貴様は何一つ変わらんな。相変わらず怪しげな実験か」
「あは、その節はどうも、お世話になりましたぁ」

ジェレミアとロイド、二人はヴィンドボナ魔法学院時代の同級生だ。
模範的な優等生であったジェレミアに対し、退学スレスレの問題児ロイド。
ロイドが何か問題を起こす度に寮の監督生であったジェレミアが監督不行き届きで連帯責任を負わされたものだ。
過去の事とは言え、全く頭の痛い思い出だ。

「あまり良い生活とは言えんようだな。セシルにも迷惑をかけているのではないか?」
「そうなの?セシル君」
「え?あの、えっと・・・、どうでしょうか?」

頬に手を当て曖昧に笑ってみせるセシル。
だがその手も貴族の令嬢とは思えないほど荒れて手入れもされていない。
きっとロイドの事だろうから錬金した金も全て研究費に費やしてしまうのだろう。
そもそも金の錬金自体数週間分の精神力を消耗してしまう為多用出来るはずもないのだが。

「どうせ生活も切り詰めているのだろう?そこで今日は君達に良い話を持ってきたのだが」
「良い話、ですか?」
「ああ、君達二人とも我が君の元へ来ないか?」

ふとロイドがジェレミアの肩口に視線を走らせる。
マントを止める羽根のついた剣の飾り、なるほどと声を上げた。

「皇族の騎士になったんだ、お〜めでと〜う」
「皇族の方が私達を支援、ですか?」
「ああ、君達の研究に興味を持ってな」

ジェレミアが一歩体を引いた。
灰色のローブに包まれた人影が現れる。
その人物を頭からすっぽり覆い隠していたフードが白い手が取り去って、

「え、えぇええッ!?」

セシルが口元に手を当てて驚愕の声を上げる。
ロイドも半ば硬直しただ呆然と現れたその顔を見つめていた。

「久しいな、ロイド・アスプルンド、セシル・クルーミー」

流れる艶やかな黒髪と意志を湛えた至高の紫の双眸。
楽しげに笑う口元は緩やかに弧を描く。
人の上に立つ者としての強烈な存在感は忘れる事など出来やしない。
かつて彼等が見送った死地へと向かう姿よりも幼いが紛れもなく彼だった。

「ルルーシュ陛下?」
「殿下だ。そういった発言な諸々の面倒事引き起こす。以後控えてくれ」
「・・・驚きました」
「そこまで驚かなくても良いと思うが?聞き覚えのある名前の奴は結構いるだろう?アッシュフォードを始めとしてな」
「いや・・・その辺はやっぱり、その、死に方の問題って奴で」
「胃癌で死んだと言うお前に言われたくないが?ロイド・アスプルンド」
「あー、その話もジェレミア卿から?」
「ああ、約三月ほど前から騎士をしてもらっている」

少々演技がかったような仕草でルルーシュが二人に手を差し出した。

「俺の領地にお前達の研究所を建ててやろう。食事等の身の回りの世話も全て使用人達によって完璧に行われる。研究資金も潤沢、皇族直轄領ゆえに政治的な雑音も少ない。どうだ?」
「勿論研究資材の調達も融通してもらえますよねぇ〜」
「ハンザ同盟の交易コネクションを利用すれば大抵の物はすぐに手に入る」
「わぉ、それ素敵!」
「ちょ、ちょっとロイドさん!」

衣食住を完全に完備された研究所の提供に今にも飛び付きそうなロイドを抑えてセシルは尋ねる。

「また何かされるおつもりなのですか?」
「今の所特別に何か行動を起こすつもりはない。しかしこの封建社会の中で生きていくには力が足りない、そうだろう?だからいざとなった時の為の足場固めというわけだ。味方は多い方が良い。お前達も貴族社会の厳しさを味わっただろう?」

かつて彼等が生きていたブリタニア帝国も貴族社会ではあったが、あの国は実力主義の風潮があり、成り上がる事も出来た。
しかしこのハルケギニアでは魔法絶対主義に基づく強固な封建社会が構築されている。
比較的成り上がりやすいゲルマニアでさえ異端は容易く排除されるのだ。
彼等のように貴族になりきれない者は社会から弾き飛ばされてしまう。
ルルーシュのような政治に長けた人物の庇護が絶対不可欠であった。

「だから俺が君達のパトロンになって身分の保障をする。その代わりに君達には研究の片手間にでも俺が必要とする技術の開発を頼みたい」
「なるほどぉ〜、ギブアンドテイクですねぇ」
「お前達も貴族だが、その手の面倒事は俺が引き受けよう」
「その話乗りました〜」

ロイドが釣れればセシルも釣れる。
少々迷ったようではあるが、尻尾でも振りそうなご機嫌のロイドを見てやがて彼女もため息交じりに頷いた。
この時、後のゲルマニア帝国の急速な科学の発展をもたらす皇室直属技術部の前身となるチーム『ジュピター』が結成されたのである。






To be continued






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